80歳超えレンタカーで世界一周一人旅

▲▲無酸素登頂登山家 鈴木孝雄の山登り https//yeti2.muragon.com▲

パタゴニア「フィッロイ」登山「逆さフィッロイの奇跡」



3/22 
早朝ホルヘ・ニューベリー国内空港へバスで出掛ける。
08:30のフライトでパタゴニアのエル・カラファテに飛ぶ。空港から町には交通機関が無いので、乗り合いバスを予約しておいた。



7/22 
エルカラファテから、フィツロイの登山口のエル・チャルテンに約三時間で到着するバスが数社出ている。時間と値段を聞いて回り、好きなバスに乗ればよい。
街の入り口で降ろされて、フィツロイの案内所へ寄り、展示物と登山の注意事項のレクチャーを受ける。


3/23        フィツロイ登山




夜中の三時に出発して、日の出をフィツロイで迎えて、朝焼けのフィツロイを見る予定で早く寝る。朝の二時に起きたら、なんと雨が降っている。なにしおう気象変化の厳しい山の牙をむき出した。予備日が作って有るのでね気持ちを切り替えて眠りにつく。四時に目が覚めたので、耳を澄ますと雨音がしない。慌てて支度をして、そのまま歩きだす。街を外れ登山道に入ると暗く、ヘッドライトで歩く。




思ったよりもきつく登山道である。二時間ほど歩くと、空が白々としてきた。走るように急ぐが息が上がってくる。木々の間に先端が朝日で燃え上がったフィツロイが見えてきた。



これでは間に合わないと諦めの境地になった時、目前にキャンプ場に続く池に、フィッロイが逆さまに映った、朝焼け逆さのフィッロイの雄姿が見えるではないか。



全くの軌跡 日の出の瞬間に晴れていて、風が無いことが条件



正に奇跡の、逆さモルゲンロートのフィツロイである。
81年間の間に、世界中の絶景を見てきたが、これほどに感動したのは初めてである。もう、思い残すことは無いこのまま死んでも良いと思ったくらいである。
しばらく見ていたが、氷河まで更に二時間歩く。最後の一時間は傾斜もきつく完全な登山である。ここに来るまで誰とも会わなかったが、テント場から来た人たちがこの絶景の前でくつろいでいた。



    何度も何度も振り返りながら、登山口に急ぐ。


3/24  
     フィツロイのミニトレッキング Mir Torreへ
フィツロイのの夜間登山の予備日として、半日確保してあったので、バスが出るまでの間トレッキングに出掛ける。


朝から良い天気で、宿のレストランから朝焼けのフィツロイが目前に見える。もう至福のひと時である。十一時のバスに乗るまでの間、行けるだけ行ってみる。終着はMir Maestriで4~5時間位である。小一時間歩くと、次から次にと絶景がのぞき引き返す勇気がそがれる。
遂にタイムリミット、後ろ髪を引かれる思いで皆と別れ帰路につく。こちらは気軽な人気コースの様で、次から次にと登ってくる。


       宿からの朝焼け風景



バスの時間が心配で一時間半程登ったところで諦めて、後ろ髪を引かれる思いで帰路に就く。


バスに三時間揺られて、今回の旅行で三回、都合五日間泊まったFOLK。朝食付きで2000円である。バスターミナルにも近くお気に入りである。

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パタゴニア フィッツ・ロイ南西稜を登った登った唯一の日本人
フィツロイの登攀には幾つものルートが有るが、御覧の通り垂直の岩で手がかりは何もない。岩場にたどり着くにも、氷の壁でアイスクライミングである。この難ルートをこともあろうに単独で、それもなんと厳冬期の7月に登頂した男が居る。気温-30℃、常に30m/sの強風という極限状態での登攀だった。世界中でも数人しかいない。凍傷で手足の指を夫婦そろって無くした、日本のトップクライマーの山野井氏である。一切スボサーを付けず、登攀の自慢すらしない奇特な、これぞ山男である。奥さんの妙子さんも全く同じ性格で、日本人の女性で8000m峰のバリエーションルートを遠藤由香(私とガッシャブルムⅡ峰を一緒に登った仲間)と登った唯一の日本人。ソ連時代にコミュニズム峰7495mを登りに行ったときに、私とは別の隊の隊長の妙子さんと一緒でしたが、余分なことは一切喋らない控えめに人でした。減圧室でトレーニングした仲間でもある。
こんな素晴らしい山を見ていると、若きとき、と言っても五十代の頃が走馬灯のように頭を過る。


   国立公園事務所に有った写真。

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